「仕事の話」
仕事についてはまだまだ不安な部分があり、あまり多く書いて来ませんでした。凹むこともまだ多々ありますが、それでも半年は仕事をこなせてきたのでここにようやく書くことを決めました。
<オーストラリアに来るまで>
マレーシアの機械制作会社でBusiness Developというマーケット開拓と営業を兼ねた担当をしていて、主に東南アジアにある日本メーカーの日本人担当者とコンタクトをとっていました。基本的には日本にいましたが、一年のうち2/3は東南アジアで活動していました。
<オーストラリアに来る数カ月前>
オーストラリアへ結婚後に引っ越すことはその前年の7月頃から説明していました。ただ家を開けることが多い仕事だったので二人で話し合い、マレーシアの会社を辞めることを決め9月頃に上司に伝えました。会社からの引き止めは強く今年の1月ごろまで曖昧な状態のまま仕事を続けていましたが、最終的には完全に辞めることにしました。
<仕事探し>
辞めることを決めても新しい仕事を探すことには抵抗がありました。正直、オーストラリアに来るたび自分の英語力がこの国では厳しいことも感じていたので、心の奥底ではマレーシアの会社の仕事を続けていくほうが安定したそこそこいい収入が得られると思っていました。でもこの国で彼女と生活することが大切だったので新しい仕事を探すことにしました。まだビザ取得前で日本にいたので、ネットで仕事を紹介しているサイトを調べました。
下記はそのサイトです。
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
http://cracker.com.au/
http://www.jobserve.com.au/
http://www.seek.com.au/#votinghttp://mycareer.com.au/
あと日本語の情報サイトにある就職情報も見ていました。
<就職紹介の会社>
仕事を調べていく中、登録して仕事を紹介してくれる会社(人材紹介)があるのは知っていました。マレーシアで就職する際、シンガポールとマレーシアのいくつかの紹介会社を利用し仕事を得たのですが、正直な感想として彼らが紹介する会社は自分の技量の上をいきます。自分を高めるというところではいいかもしれませんが、面接に行くたびに接点が少ないことや経験不足などであまりいい会話はできませんでした。やる気だけではどうにもならないところです。紹介会社は就職が成立した際、その給料の数ヶ月ほどの収益を得るらしく(私の上司が話してくれました)、そういうこともあるのか彼らにとってのいい会社を紹介された気もしました。そのため今回は自分で仕事探をしてみようと動きました。
<自分の経歴の整理>
どんな国でもこれは大切なステップだと思うのですが、履歴書を書くたびに「なにができるんだろう」と不安になります。私はバックグラウンド的には技術系(テクニカルサポートなど)の経歴がありますが、実際エンジニアとして働いたことはなく、自分で設計するとか製造するという現場には立っていません。
またマレーシアで就職した際は新しく営業的な仕事を始めたため、技術職としての仕事はもう5年も携わっていませんでした。営業やマーケットも誰に習ったとかではなく、上司を観察したり自分で工夫してやっていたのでそれも他の業界で通用するのか不安でした。それでも自分がなにをしてきたのか、何ができるのかを冷静に分析することを始めました。
<ターゲットの設定>
なにを目的として働くかを決めました。
+ 給料-最低でもいくら必要か
+ 就職形態(フルタイム、カジュアルなど)
+ どういう風に成長したいのか(次の転職時にどうなりたいのか)
<具体的な就職活動>
日本で務めていた会社は小さな商社でオーストラリアメーカーの製品も扱っていました。当時、技術関係の担当をしていたので頻繁にそのメーカーと連絡をとっていたので仕事をやめた後でも季節ごとのメールを交わしていました。
もう5年以上あってはいませんでしたが、オーストラリアで私の個人的な知り合いは全くいなかったので仕事のことはふせてコンタクトを取りました。
偶然、社長さんがシドニーに来ることになっていたのでハイアットホテルのロビーで会い、結婚したことやそれまでなにをしていたとか話をしました。
彼の話を聞いているとすでに私が務めていた会社との取引はなく、この数年日本での営業売上はゼロまた日本の営業を停止しているという話をきき、自分がこのポジションを引き継ぐことができるのではと考えました。
その後、日本の営業戦略をたてパワーポイントでプレゼンのファイルを作り次のミーティングで「もし自分がこの会社に入ったら」という説明を彼にしました。仕事を得ることに集中していたのでやる気は伝わったと思います。
<最初の就職>
その会社から日本での営業をやってみなさいという答えをもらえましたが、結果の見えない活動で、また私の住んでいる所が会社からかなり離れていることもあり、社員としては現時点では雇えないといわれました。
給料は歩合ではなく活動時間での計算でまた額面も悪くはなかったのでとりあえず承諾しました。ただシドニーにあるその会社の関連会社に通うことも条件付けられました。
<ABNの取得>
結局、仕事は得たものの個人事業主としてのスタートとなり、ABNを取得することになりました。ABN取得はネットで簡単に取得することができました。
<カジュアルとしての就職>関連会社に通い、技術アシスタントして働いている時間もその会社から給料は得られていたのですが、ある日、関連会社の社長さんから「うちの社員にならないか?」と話を受けました。形態はカジュアルで給料の額面も別の会社と同じ。ただ個人事業主ではないのである程度会社の保護下で仕事ができることになります。
ただ私はマーケット及び営業としてこの国でやっていこうと考えていたので技術職での仕事が今後プラスに成るか考えました。40近く生きてきたので自分の技量もわかっていると思います。これからエンジニアとして働くには容易ではないこともわかっているので、この提案をどう受け止めるかということで1週間考えました。
最終的な考えとして、技術的な知識を高め、セールスエンジニアとしての活路を見いだせるかもしれないと考えこの提案を受けました。
<現在の状況>
営業としての活動を始め、少なくとも売上ゼロという状況は改善しました。(この活動をするにあたってはダイレクトコールを300件以上しましたし、9月の営業活動も結果を生んだと思ってます。)また技術職ではまだアシスタントで先輩の指示で動いてますが、いろんなものに触れることができ楽しんでいます。
<今後の課題>
仕事そのものの結果やレベルアップは当然必要ですが、それ以前に英語力をもっと改善しなければいけないと痛感しています。同僚に日本人は誰もおらず、英語を話せなければ仕事はできません。でも話すことはなんとか通じてもリスニングはかなり厳しいです。正直、電話応対は苦痛です。聞き間違いを恐れるあまり、電話をとらないこともありますし、説明をあまり聞かず仕事を始めミスに気づくという初歩的な間違いをすることにもなりました。上司からも「私の言っていることのどれだけ理解しているんだ」と叱責を受けたこともあります。リスニング力を鍛えないと。
AMEPのクラスメートを見ていると、皆いろんな困難をもっているけどこの国で生きていこうとしている姿勢はとても励みになります。結局、私はラッキーで仕事を手に入れることができて就職活動を経験していません。参考にはならないかもしれませんが、こんな経緯で仕事得た人もいると思って下さい。
仕事についてはまだまだ不安な部分があり、あまり多く書いて来ませんでした。凹むこともまだ多々ありますが、それでも半年は仕事をこなせてきたのでここにようやく書くことを決めました。
<オーストラリアに来るまで>
マレーシアの機械制作会社でBusiness Developというマーケット開拓と営業を兼ねた担当をしていて、主に東南アジアにある日本メーカーの日本人担当者とコンタクトをとっていました。基本的には日本にいましたが、一年のうち2/3は東南アジアで活動していました。
<オーストラリアに来る数カ月前>
オーストラリアへ結婚後に引っ越すことはその前年の7月頃から説明していました。ただ家を開けることが多い仕事だったので二人で話し合い、マレーシアの会社を辞めることを決め9月頃に上司に伝えました。会社からの引き止めは強く今年の1月ごろまで曖昧な状態のまま仕事を続けていましたが、最終的には完全に辞めることにしました。
<仕事探し>
辞めることを決めても新しい仕事を探すことには抵抗がありました。正直、オーストラリアに来るたび自分の英語力がこの国では厳しいことも感じていたので、心の奥底ではマレーシアの会社の仕事を続けていくほうが安定したそこそこいい収入が得られると思っていました。でもこの国で彼女と生活することが大切だったので新しい仕事を探すことにしました。まだビザ取得前で日本にいたので、ネットで仕事を紹介しているサイトを調べました。
下記はそのサイトです。
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
http://cracker.com.au/
http://www.jobserve.com.au/
http://www.seek.com.au/#votinghttp://mycareer.com.au/
あと日本語の情報サイトにある就職情報も見ていました。
<就職紹介の会社>
仕事を調べていく中、登録して仕事を紹介してくれる会社(人材紹介)があるのは知っていました。マレーシアで就職する際、シンガポールとマレーシアのいくつかの紹介会社を利用し仕事を得たのですが、正直な感想として彼らが紹介する会社は自分の技量の上をいきます。自分を高めるというところではいいかもしれませんが、面接に行くたびに接点が少ないことや経験不足などであまりいい会話はできませんでした。やる気だけではどうにもならないところです。紹介会社は就職が成立した際、その給料の数ヶ月ほどの収益を得るらしく(私の上司が話してくれました)、そういうこともあるのか彼らにとってのいい会社を紹介された気もしました。そのため今回は自分で仕事探をしてみようと動きました。
<自分の経歴の整理>
どんな国でもこれは大切なステップだと思うのですが、履歴書を書くたびに「なにができるんだろう」と不安になります。私はバックグラウンド的には技術系(テクニカルサポートなど)の経歴がありますが、実際エンジニアとして働いたことはなく、自分で設計するとか製造するという現場には立っていません。
またマレーシアで就職した際は新しく営業的な仕事を始めたため、技術職としての仕事はもう5年も携わっていませんでした。営業やマーケットも誰に習ったとかではなく、上司を観察したり自分で工夫してやっていたのでそれも他の業界で通用するのか不安でした。それでも自分がなにをしてきたのか、何ができるのかを冷静に分析することを始めました。
<ターゲットの設定>
なにを目的として働くかを決めました。
+ 給料-最低でもいくら必要か
+ 就職形態(フルタイム、カジュアルなど)
+ どういう風に成長したいのか(次の転職時にどうなりたいのか)
<具体的な就職活動>
日本で務めていた会社は小さな商社でオーストラリアメーカーの製品も扱っていました。当時、技術関係の担当をしていたので頻繁にそのメーカーと連絡をとっていたので仕事をやめた後でも季節ごとのメールを交わしていました。
もう5年以上あってはいませんでしたが、オーストラリアで私の個人的な知り合いは全くいなかったので仕事のことはふせてコンタクトを取りました。
偶然、社長さんがシドニーに来ることになっていたのでハイアットホテルのロビーで会い、結婚したことやそれまでなにをしていたとか話をしました。
彼の話を聞いているとすでに私が務めていた会社との取引はなく、この数年日本での営業売上はゼロまた日本の営業を停止しているという話をきき、自分がこのポジションを引き継ぐことができるのではと考えました。
その後、日本の営業戦略をたてパワーポイントでプレゼンのファイルを作り次のミーティングで「もし自分がこの会社に入ったら」という説明を彼にしました。仕事を得ることに集中していたのでやる気は伝わったと思います。
<最初の就職>
その会社から日本での営業をやってみなさいという答えをもらえましたが、結果の見えない活動で、また私の住んでいる所が会社からかなり離れていることもあり、社員としては現時点では雇えないといわれました。
給料は歩合ではなく活動時間での計算でまた額面も悪くはなかったのでとりあえず承諾しました。ただシドニーにあるその会社の関連会社に通うことも条件付けられました。
<ABNの取得>
結局、仕事は得たものの個人事業主としてのスタートとなり、ABNを取得することになりました。ABN取得はネットで簡単に取得することができました。
<カジュアルとしての就職>関連会社に通い、技術アシスタントして働いている時間もその会社から給料は得られていたのですが、ある日、関連会社の社長さんから「うちの社員にならないか?」と話を受けました。形態はカジュアルで給料の額面も別の会社と同じ。ただ個人事業主ではないのである程度会社の保護下で仕事ができることになります。
ただ私はマーケット及び営業としてこの国でやっていこうと考えていたので技術職での仕事が今後プラスに成るか考えました。40近く生きてきたので自分の技量もわかっていると思います。これからエンジニアとして働くには容易ではないこともわかっているので、この提案をどう受け止めるかということで1週間考えました。
最終的な考えとして、技術的な知識を高め、セールスエンジニアとしての活路を見いだせるかもしれないと考えこの提案を受けました。
<現在の状況>
営業としての活動を始め、少なくとも売上ゼロという状況は改善しました。(この活動をするにあたってはダイレクトコールを300件以上しましたし、9月の営業活動も結果を生んだと思ってます。)また技術職ではまだアシスタントで先輩の指示で動いてますが、いろんなものに触れることができ楽しんでいます。
<今後の課題>
仕事そのものの結果やレベルアップは当然必要ですが、それ以前に英語力をもっと改善しなければいけないと痛感しています。同僚に日本人は誰もおらず、英語を話せなければ仕事はできません。でも話すことはなんとか通じてもリスニングはかなり厳しいです。正直、電話応対は苦痛です。聞き間違いを恐れるあまり、電話をとらないこともありますし、説明をあまり聞かず仕事を始めミスに気づくという初歩的な間違いをすることにもなりました。上司からも「私の言っていることのどれだけ理解しているんだ」と叱責を受けたこともあります。リスニング力を鍛えないと。
AMEPのクラスメートを見ていると、皆いろんな困難をもっているけどこの国で生きていこうとしている姿勢はとても励みになります。結局、私はラッキーで仕事を手に入れることができて就職活動を経験していません。参考にはならないかもしれませんが、こんな経緯で仕事得た人もいると思って下さい。
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今週からAMEPに通い始めて移民してきて紆余曲折を経てTAFEの先生になった人の経験など色々聞くことができました。皆それぞれに、この国で自分の新しい人生を築いていく上で大変な時期を通過して今があるんだな~と改めて思っています。少しずつ頑張ります♪
ps.お誕生日おめでとうございます。
40目前の39になりましたKTOMです。
AMEPは授業だけでなくて地元の知り合いが増えるのもいいところだと思います。
クラスメートは損得抜きでいろいろな話を提供してくれますし、先生もアドバイスをくれます。
ぜひ楽しんで勉強してください。
仕事ですけど、
私も仕事は持っていますが、まだまだ不安定なポジションなので今後どうなるか正直不安です。
でも無職でいるよりかはいいと妻と話しあい、将来の仕事に向けてやっているところです。
立派な職歴があればすんなり仕事もあったんでしょうが、他の移民者と同じようにいまは一から始めてるところです。
Ringoさんもこれからクラスメートと情報を交換していくかと思います。
仕事も最終的には見つかると思いますし、このプロセスが「オーストラリアにいる」って実感させてくれるのかもしれないですね。
今週もお互い頑張りましょう!
****************** 追記します ********************
以前参考にしたサイトがあったのでリンクをつけますね。給料とか記事の読み方とか私はとても参考になったのでRingoさんにもご紹介します。
http://aplac.info/faq/fjob1.html