「今週末の予定」
やっと今週も金曜日!
今週末はちょっとイベントがあるので忙しい?!です。
こちらの習慣でしょうか、子供の誕生日(特に赤ちゃん)に2件招待されています。
ひとつはご近所のインド系シンガポール人と中国系インドネシア人の夫妻
もうひとつは奥さんのいとこで中国系インドネシア人とイタリア人
どちらもハーフなので目がぱっちりしてかわいいです。
まだ私たちはIVFのカウセリングを受けていますが、子供が生まれたらこういうことをするのかなと今から勉強!
また今週私の誕生日もあって、今日の夜はシティで日本食のディナー。
明日はシドニー湾のクルーズです♪
天気がよくなるといいのですが。
さて今日も一日がんばろう!
やっと今週も金曜日!
今週末はちょっとイベントがあるので忙しい?!です。
こちらの習慣でしょうか、子供の誕生日(特に赤ちゃん)に2件招待されています。
ひとつはご近所のインド系シンガポール人と中国系インドネシア人の夫妻
もうひとつは奥さんのいとこで中国系インドネシア人とイタリア人
どちらもハーフなので目がぱっちりしてかわいいです。
まだ私たちはIVFのカウセリングを受けていますが、子供が生まれたらこういうことをするのかなと今から勉強!
また今週私の誕生日もあって、今日の夜はシティで日本食のディナー。
明日はシドニー湾のクルーズです♪
天気がよくなるといいのですが。
さて今日も一日がんばろう!
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「IKEA」
このブログで利用している忍者ツールズさんがこのところシステムの不具合があったようでほとんど繋がりませんでした。なんとか復旧したようなのでホッとしてます。
このところ続く雨で気温も下がってますが、為替レートも豪ドルが弱くなっています。両替のいいタイミングかと狙っています。
2週間置きぐらいに地域の新聞が玄関先に置かれていきます。
地域の新聞といっても結構厚みがあり(ほとんど広告ですが)、地元の政治や経済、犯罪事故、スポーツなど一般の新聞と変わらない内容です。
昨日受け取った新聞を読んでいると、
このエリアにIKEAがやってくる?!という記事を見つけました。
Marsden Parkという地区にシドニーで3店舗目となるお店を立てる予定です。この地区は牧場が広がるエリアで、私もゴルフの練習で行きますがただ広い土地が見渡せる場所です。この地区を産業地区にしようとする動きもあるようで、この風景が数年後には変わるのかと思うと、ちょっと切なくなります。ただIKEAが来ることは楽しみです。
このブログで利用している忍者ツールズさんがこのところシステムの不具合があったようでほとんど繋がりませんでした。なんとか復旧したようなのでホッとしてます。
このところ続く雨で気温も下がってますが、為替レートも豪ドルが弱くなっています。両替のいいタイミングかと狙っています。
2週間置きぐらいに地域の新聞が玄関先に置かれていきます。
地域の新聞といっても結構厚みがあり(ほとんど広告ですが)、地元の政治や経済、犯罪事故、スポーツなど一般の新聞と変わらない内容です。
昨日受け取った新聞を読んでいると、
このエリアにIKEAがやってくる?!という記事を見つけました。
Marsden Parkという地区にシドニーで3店舗目となるお店を立てる予定です。この地区は牧場が広がるエリアで、私もゴルフの練習で行きますがただ広い土地が見渡せる場所です。この地区を産業地区にしようとする動きもあるようで、この風景が数年後には変わるのかと思うと、ちょっと切なくなります。ただIKEAが来ることは楽しみです。
「仕事の話」
仕事についてはまだまだ不安な部分があり、あまり多く書いて来ませんでした。凹むこともまだ多々ありますが、それでも半年は仕事をこなせてきたのでここにようやく書くことを決めました。
<オーストラリアに来るまで>
マレーシアの機械制作会社でBusiness Developというマーケット開拓と営業を兼ねた担当をしていて、主に東南アジアにある日本メーカーの日本人担当者とコンタクトをとっていました。基本的には日本にいましたが、一年のうち2/3は東南アジアで活動していました。
<オーストラリアに来る数カ月前>
オーストラリアへ結婚後に引っ越すことはその前年の7月頃から説明していました。ただ家を開けることが多い仕事だったので二人で話し合い、マレーシアの会社を辞めることを決め9月頃に上司に伝えました。会社からの引き止めは強く今年の1月ごろまで曖昧な状態のまま仕事を続けていましたが、最終的には完全に辞めることにしました。
<仕事探し>
辞めることを決めても新しい仕事を探すことには抵抗がありました。正直、オーストラリアに来るたび自分の英語力がこの国では厳しいことも感じていたので、心の奥底ではマレーシアの会社の仕事を続けていくほうが安定したそこそこいい収入が得られると思っていました。でもこの国で彼女と生活することが大切だったので新しい仕事を探すことにしました。まだビザ取得前で日本にいたので、ネットで仕事を紹介しているサイトを調べました。
下記はそのサイトです。
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
http://cracker.com.au/
http://www.jobserve.com.au/
http://www.seek.com.au/#votinghttp://mycareer.com.au/
あと日本語の情報サイトにある就職情報も見ていました。
<就職紹介の会社>
仕事を調べていく中、登録して仕事を紹介してくれる会社(人材紹介)があるのは知っていました。マレーシアで就職する際、シンガポールとマレーシアのいくつかの紹介会社を利用し仕事を得たのですが、正直な感想として彼らが紹介する会社は自分の技量の上をいきます。自分を高めるというところではいいかもしれませんが、面接に行くたびに接点が少ないことや経験不足などであまりいい会話はできませんでした。やる気だけではどうにもならないところです。紹介会社は就職が成立した際、その給料の数ヶ月ほどの収益を得るらしく(私の上司が話してくれました)、そういうこともあるのか彼らにとってのいい会社を紹介された気もしました。そのため今回は自分で仕事探をしてみようと動きました。
<自分の経歴の整理>
どんな国でもこれは大切なステップだと思うのですが、履歴書を書くたびに「なにができるんだろう」と不安になります。私はバックグラウンド的には技術系(テクニカルサポートなど)の経歴がありますが、実際エンジニアとして働いたことはなく、自分で設計するとか製造するという現場には立っていません。
またマレーシアで就職した際は新しく営業的な仕事を始めたため、技術職としての仕事はもう5年も携わっていませんでした。営業やマーケットも誰に習ったとかではなく、上司を観察したり自分で工夫してやっていたのでそれも他の業界で通用するのか不安でした。それでも自分がなにをしてきたのか、何ができるのかを冷静に分析することを始めました。
<ターゲットの設定>
なにを目的として働くかを決めました。
+ 給料-最低でもいくら必要か
+ 就職形態(フルタイム、カジュアルなど)
+ どういう風に成長したいのか(次の転職時にどうなりたいのか)
<具体的な就職活動>
日本で務めていた会社は小さな商社でオーストラリアメーカーの製品も扱っていました。当時、技術関係の担当をしていたので頻繁にそのメーカーと連絡をとっていたので仕事をやめた後でも季節ごとのメールを交わしていました。
もう5年以上あってはいませんでしたが、オーストラリアで私の個人的な知り合いは全くいなかったので仕事のことはふせてコンタクトを取りました。
偶然、社長さんがシドニーに来ることになっていたのでハイアットホテルのロビーで会い、結婚したことやそれまでなにをしていたとか話をしました。
彼の話を聞いているとすでに私が務めていた会社との取引はなく、この数年日本での営業売上はゼロまた日本の営業を停止しているという話をきき、自分がこのポジションを引き継ぐことができるのではと考えました。
その後、日本の営業戦略をたてパワーポイントでプレゼンのファイルを作り次のミーティングで「もし自分がこの会社に入ったら」という説明を彼にしました。仕事を得ることに集中していたのでやる気は伝わったと思います。
<最初の就職>
その会社から日本での営業をやってみなさいという答えをもらえましたが、結果の見えない活動で、また私の住んでいる所が会社からかなり離れていることもあり、社員としては現時点では雇えないといわれました。
給料は歩合ではなく活動時間での計算でまた額面も悪くはなかったのでとりあえず承諾しました。ただシドニーにあるその会社の関連会社に通うことも条件付けられました。
<ABNの取得>
結局、仕事は得たものの個人事業主としてのスタートとなり、ABNを取得することになりました。ABN取得はネットで簡単に取得することができました。
<カジュアルとしての就職>関連会社に通い、技術アシスタントして働いている時間もその会社から給料は得られていたのですが、ある日、関連会社の社長さんから「うちの社員にならないか?」と話を受けました。形態はカジュアルで給料の額面も別の会社と同じ。ただ個人事業主ではないのである程度会社の保護下で仕事ができることになります。
ただ私はマーケット及び営業としてこの国でやっていこうと考えていたので技術職での仕事が今後プラスに成るか考えました。40近く生きてきたので自分の技量もわかっていると思います。これからエンジニアとして働くには容易ではないこともわかっているので、この提案をどう受け止めるかということで1週間考えました。
最終的な考えとして、技術的な知識を高め、セールスエンジニアとしての活路を見いだせるかもしれないと考えこの提案を受けました。
<現在の状況>
営業としての活動を始め、少なくとも売上ゼロという状況は改善しました。(この活動をするにあたってはダイレクトコールを300件以上しましたし、9月の営業活動も結果を生んだと思ってます。)また技術職ではまだアシスタントで先輩の指示で動いてますが、いろんなものに触れることができ楽しんでいます。
<今後の課題>
仕事そのものの結果やレベルアップは当然必要ですが、それ以前に英語力をもっと改善しなければいけないと痛感しています。同僚に日本人は誰もおらず、英語を話せなければ仕事はできません。でも話すことはなんとか通じてもリスニングはかなり厳しいです。正直、電話応対は苦痛です。聞き間違いを恐れるあまり、電話をとらないこともありますし、説明をあまり聞かず仕事を始めミスに気づくという初歩的な間違いをすることにもなりました。上司からも「私の言っていることのどれだけ理解しているんだ」と叱責を受けたこともあります。リスニング力を鍛えないと。
AMEPのクラスメートを見ていると、皆いろんな困難をもっているけどこの国で生きていこうとしている姿勢はとても励みになります。結局、私はラッキーで仕事を手に入れることができて就職活動を経験していません。参考にはならないかもしれませんが、こんな経緯で仕事得た人もいると思って下さい。
仕事についてはまだまだ不安な部分があり、あまり多く書いて来ませんでした。凹むこともまだ多々ありますが、それでも半年は仕事をこなせてきたのでここにようやく書くことを決めました。
<オーストラリアに来るまで>
マレーシアの機械制作会社でBusiness Developというマーケット開拓と営業を兼ねた担当をしていて、主に東南アジアにある日本メーカーの日本人担当者とコンタクトをとっていました。基本的には日本にいましたが、一年のうち2/3は東南アジアで活動していました。
<オーストラリアに来る数カ月前>
オーストラリアへ結婚後に引っ越すことはその前年の7月頃から説明していました。ただ家を開けることが多い仕事だったので二人で話し合い、マレーシアの会社を辞めることを決め9月頃に上司に伝えました。会社からの引き止めは強く今年の1月ごろまで曖昧な状態のまま仕事を続けていましたが、最終的には完全に辞めることにしました。
<仕事探し>
辞めることを決めても新しい仕事を探すことには抵抗がありました。正直、オーストラリアに来るたび自分の英語力がこの国では厳しいことも感じていたので、心の奥底ではマレーシアの会社の仕事を続けていくほうが安定したそこそこいい収入が得られると思っていました。でもこの国で彼女と生活することが大切だったので新しい仕事を探すことにしました。まだビザ取得前で日本にいたので、ネットで仕事を紹介しているサイトを調べました。
下記はそのサイトです。
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
http://cracker.com.au/
http://www.jobserve.com.au/
http://www.seek.com.au/#votinghttp://mycareer.com.au/
あと日本語の情報サイトにある就職情報も見ていました。
<就職紹介の会社>
仕事を調べていく中、登録して仕事を紹介してくれる会社(人材紹介)があるのは知っていました。マレーシアで就職する際、シンガポールとマレーシアのいくつかの紹介会社を利用し仕事を得たのですが、正直な感想として彼らが紹介する会社は自分の技量の上をいきます。自分を高めるというところではいいかもしれませんが、面接に行くたびに接点が少ないことや経験不足などであまりいい会話はできませんでした。やる気だけではどうにもならないところです。紹介会社は就職が成立した際、その給料の数ヶ月ほどの収益を得るらしく(私の上司が話してくれました)、そういうこともあるのか彼らにとってのいい会社を紹介された気もしました。そのため今回は自分で仕事探をしてみようと動きました。
<自分の経歴の整理>
どんな国でもこれは大切なステップだと思うのですが、履歴書を書くたびに「なにができるんだろう」と不安になります。私はバックグラウンド的には技術系(テクニカルサポートなど)の経歴がありますが、実際エンジニアとして働いたことはなく、自分で設計するとか製造するという現場には立っていません。
またマレーシアで就職した際は新しく営業的な仕事を始めたため、技術職としての仕事はもう5年も携わっていませんでした。営業やマーケットも誰に習ったとかではなく、上司を観察したり自分で工夫してやっていたのでそれも他の業界で通用するのか不安でした。それでも自分がなにをしてきたのか、何ができるのかを冷静に分析することを始めました。
<ターゲットの設定>
なにを目的として働くかを決めました。
+ 給料-最低でもいくら必要か
+ 就職形態(フルタイム、カジュアルなど)
+ どういう風に成長したいのか(次の転職時にどうなりたいのか)
<具体的な就職活動>
日本で務めていた会社は小さな商社でオーストラリアメーカーの製品も扱っていました。当時、技術関係の担当をしていたので頻繁にそのメーカーと連絡をとっていたので仕事をやめた後でも季節ごとのメールを交わしていました。
もう5年以上あってはいませんでしたが、オーストラリアで私の個人的な知り合いは全くいなかったので仕事のことはふせてコンタクトを取りました。
偶然、社長さんがシドニーに来ることになっていたのでハイアットホテルのロビーで会い、結婚したことやそれまでなにをしていたとか話をしました。
彼の話を聞いているとすでに私が務めていた会社との取引はなく、この数年日本での営業売上はゼロまた日本の営業を停止しているという話をきき、自分がこのポジションを引き継ぐことができるのではと考えました。
その後、日本の営業戦略をたてパワーポイントでプレゼンのファイルを作り次のミーティングで「もし自分がこの会社に入ったら」という説明を彼にしました。仕事を得ることに集中していたのでやる気は伝わったと思います。
<最初の就職>
その会社から日本での営業をやってみなさいという答えをもらえましたが、結果の見えない活動で、また私の住んでいる所が会社からかなり離れていることもあり、社員としては現時点では雇えないといわれました。
給料は歩合ではなく活動時間での計算でまた額面も悪くはなかったのでとりあえず承諾しました。ただシドニーにあるその会社の関連会社に通うことも条件付けられました。
<ABNの取得>
結局、仕事は得たものの個人事業主としてのスタートとなり、ABNを取得することになりました。ABN取得はネットで簡単に取得することができました。
<カジュアルとしての就職>関連会社に通い、技術アシスタントして働いている時間もその会社から給料は得られていたのですが、ある日、関連会社の社長さんから「うちの社員にならないか?」と話を受けました。形態はカジュアルで給料の額面も別の会社と同じ。ただ個人事業主ではないのである程度会社の保護下で仕事ができることになります。
ただ私はマーケット及び営業としてこの国でやっていこうと考えていたので技術職での仕事が今後プラスに成るか考えました。40近く生きてきたので自分の技量もわかっていると思います。これからエンジニアとして働くには容易ではないこともわかっているので、この提案をどう受け止めるかということで1週間考えました。
最終的な考えとして、技術的な知識を高め、セールスエンジニアとしての活路を見いだせるかもしれないと考えこの提案を受けました。
<現在の状況>
営業としての活動を始め、少なくとも売上ゼロという状況は改善しました。(この活動をするにあたってはダイレクトコールを300件以上しましたし、9月の営業活動も結果を生んだと思ってます。)また技術職ではまだアシスタントで先輩の指示で動いてますが、いろんなものに触れることができ楽しんでいます。
<今後の課題>
仕事そのものの結果やレベルアップは当然必要ですが、それ以前に英語力をもっと改善しなければいけないと痛感しています。同僚に日本人は誰もおらず、英語を話せなければ仕事はできません。でも話すことはなんとか通じてもリスニングはかなり厳しいです。正直、電話応対は苦痛です。聞き間違いを恐れるあまり、電話をとらないこともありますし、説明をあまり聞かず仕事を始めミスに気づくという初歩的な間違いをすることにもなりました。上司からも「私の言っていることのどれだけ理解しているんだ」と叱責を受けたこともあります。リスニング力を鍛えないと。
AMEPのクラスメートを見ていると、皆いろんな困難をもっているけどこの国で生きていこうとしている姿勢はとても励みになります。結局、私はラッキーで仕事を手に入れることができて就職活動を経験していません。参考にはならないかもしれませんが、こんな経緯で仕事得た人もいると思って下さい。
「駐車場」
駐車の標識は正直いまだわかりづらいです。
瞬間的になにが書いてあるのかよくわかりません。
最近見た駐車の標識をのせます。
下の写真は
標識の左側に「月曜から金曜日 朝の8:30から夜の6:00まで2時間駐車していい」というものです。
ただし右側は「朝の8:30から6:00までは駐車してはいけない」と意味しています。
逆を返せば、その時間帯以外は自由に止められることになり、左側は特に土日は自由に駐車できます。
下の写真は右側は上と同様に「月曜から金曜日 朝の8:30から夜の6:00まで2時間駐車していい」ですが、左側はどんな時間であろうと駐車禁止です。
これに1Pとか、1/2Pとか4Pなんかの数字が変わったり、時間帯が変わったりした標識や、駐車券を出す機械があるかないかなどで有料駐車になったりと、まだまだドキドキして駐車しています。
ご参考まで。
駐車の標識は正直いまだわかりづらいです。
瞬間的になにが書いてあるのかよくわかりません。
最近見た駐車の標識をのせます。
下の写真は
標識の左側に「月曜から金曜日 朝の8:30から夜の6:00まで2時間駐車していい」というものです。
ただし右側は「朝の8:30から6:00までは駐車してはいけない」と意味しています。
逆を返せば、その時間帯以外は自由に止められることになり、左側は特に土日は自由に駐車できます。
下の写真は右側は上と同様に「月曜から金曜日 朝の8:30から夜の6:00まで2時間駐車していい」ですが、左側はどんな時間であろうと駐車禁止です。
これに1Pとか、1/2Pとか4Pなんかの数字が変わったり、時間帯が変わったりした標識や、駐車券を出す機械があるかないかなどで有料駐車になったりと、まだまだドキドキして駐車しています。
ご参考まで。
「週末 パラマタとカブラマタ」
こちらに来た頃、まだ土地勘もなくどこに自分が行ったのかもよくわかりませんでした。
最近、少しずつ場所の名前を覚えてきたのですが、随分前にある中国系の人に電車の行き先を聞かれ、
「これはパラマタに行きますよ。」と答えた所、「私はカブラマタに行きたいの。」と間髪入れずに言い返されました。当時まだカブラマタを知らず、このあたりには「なんとかマタ」という地名が多いのかと思ったものです。
もう散り始めてきましたがJacarandaという紫色の花をつける木の花見に先週パラマタに行きました。日本のサクラのように季節で咲く花のようで、どことなくサクラを想像させるきれいな花です。ただサクラのように通りにたくさん植えてはおらず、街に転々としています。
人の話でパラマタにはいくらかまとまって見られる所があるというので、散歩がてらパラマタパークと街を有る極まりました。この日は天気は曇りで、いい天気で貼りませんでしたがとても歩きやすいちょうどいい気温でした。
で今週はカブラマタに行って来ました。
とてもすごい賑わいで、駐車場を探すのが大変でした。
カブラマタはベトナム人街として有名らしく、ベトナム料理のお店やパン屋さん、サトウキビのジュースなどなど、私たちはそういった食べ物を楽しみつつ散歩をしましたが、今日は先週と変わってすごく暑くまともに太陽の下を歩けないので、結局2時間ほどの滞在で帰りました。
今日の収穫は、ジャックフルーツとドリアン!
どちらも大きいとは言えませんがA$10で手に入れました。
東南アジアで日常的に普通に食べていた人たち(私の家族)にとってシドニーで手に入れるドリアンはかなり貴重で、おいしいさは望めませんがドリアンを食べるということがとても大事です。ここで売られているドリアンは実が大きく、おそらくタイ辺りのものだと思います。
マレーシアではこぶりなドリアンがよく食べられ、私も最初はその匂いからかなり敬遠していましたが、芋ようかんのようなこの味に慣れてしまってからは頻繁に食べていました。
<ドリアンメモ>
都市伝説のようによく言われるのは、ドリアンを食べて飲酒をしないこと。またドリアンを食べた後は体が熱くなるので水を飲む事。人によってはお酒を飲んでも平気だといいますが、確かに体は熱くなります。食べ過ぎるとお腹がゆるくなったりとなんかあるかもしれませんのでご注意を。
ちなみにこれはマレーシアの露店です。ドリアン(およそA$8)とランブータン。
こちらに来た頃、まだ土地勘もなくどこに自分が行ったのかもよくわかりませんでした。
最近、少しずつ場所の名前を覚えてきたのですが、随分前にある中国系の人に電車の行き先を聞かれ、
「これはパラマタに行きますよ。」と答えた所、「私はカブラマタに行きたいの。」と間髪入れずに言い返されました。当時まだカブラマタを知らず、このあたりには「なんとかマタ」という地名が多いのかと思ったものです。
もう散り始めてきましたがJacarandaという紫色の花をつける木の花見に先週パラマタに行きました。日本のサクラのように季節で咲く花のようで、どことなくサクラを想像させるきれいな花です。ただサクラのように通りにたくさん植えてはおらず、街に転々としています。
人の話でパラマタにはいくらかまとまって見られる所があるというので、散歩がてらパラマタパークと街を有る極まりました。この日は天気は曇りで、いい天気で貼りませんでしたがとても歩きやすいちょうどいい気温でした。
で今週はカブラマタに行って来ました。
とてもすごい賑わいで、駐車場を探すのが大変でした。
カブラマタはベトナム人街として有名らしく、ベトナム料理のお店やパン屋さん、サトウキビのジュースなどなど、私たちはそういった食べ物を楽しみつつ散歩をしましたが、今日は先週と変わってすごく暑くまともに太陽の下を歩けないので、結局2時間ほどの滞在で帰りました。
今日の収穫は、ジャックフルーツとドリアン!
どちらも大きいとは言えませんがA$10で手に入れました。
東南アジアで日常的に普通に食べていた人たち(私の家族)にとってシドニーで手に入れるドリアンはかなり貴重で、おいしいさは望めませんがドリアンを食べるということがとても大事です。ここで売られているドリアンは実が大きく、おそらくタイ辺りのものだと思います。
マレーシアではこぶりなドリアンがよく食べられ、私も最初はその匂いからかなり敬遠していましたが、芋ようかんのようなこの味に慣れてしまってからは頻繁に食べていました。
<ドリアンメモ>
都市伝説のようによく言われるのは、ドリアンを食べて飲酒をしないこと。またドリアンを食べた後は体が熱くなるので水を飲む事。人によってはお酒を飲んでも平気だといいますが、確かに体は熱くなります。食べ過ぎるとお腹がゆるくなったりとなんかあるかもしれませんのでご注意を。
ちなみにこれはマレーシアの露店です。ドリアン(およそA$8)とランブータン。